神は愛なり

 

洋の東西を問わず、人間が最も希求する問題は、個人の魂の救われと、真の世界平和達成であることは言うまでもありません。魂の救いというのは、様々な精神的、物質的な事柄が満足し、解決したから安心を得たというような浅いものではなく、生きても死んでも安心であるという、自己が永遠の生命を体覚するというところにあります。平和ということも、表面上、政治的な力によって何とかバランスが保たれているというような、いつ崩れ去るかわからない薄っぺらなものではありません。人類一人ひとりが同一の大生命より分かれた、魂において兄弟姉妹であるとの観点に立って、お互いの国が共に支えあい、共に平和世界を作り上げるという恒久的な平和が達成されなければならないのです。


人間が自我を中心に生きている限り、真実の安心立命ということも、真の世界平和を作り上げることも出来ません。天に真っ直ぐにつながると同時に、人類愛の行為を現すという縦横十字交叉(こうさ)の中心に立った時、初めて平和世界達成の行為が為されてゆくのです。私たち個人個人がどんなに平和を願っても、地球上を渦まいている神のみ心を離れた業想念波動の波がある限り、個人の平安と世界の平和は訪れないのであります。


では、どうしたら業想念波動が浄まり、個人の魂の救われと神性自覚が為され、平和世界を生みだしていくことが出来るでしょうか。人間の心の世界というものは、太平洋が大西洋とつながっているように、世界中の人々の想念の波は互いに影響しあっているのです。ということは、目覚めた魂が天の中心者と一つとなり、その大光明、大調和の氣、平和の氣を響き渡らせていけば、地球上のすべての人類に巨大な影響を与えるということになります。宇宙を動かしている絶対の力が流れでてくるのですから、地球世界に溜(た)まり積もった業想念波動が浄まり去ってゆくことは必定なのであります。万物、万人を生みなし、絶えることなく生命の力を流し続けて下さる大生命(大神様)は、すべてのすべてなのですから、人間側がその無限力を確信し続ければ、真の平和世界が到来することは間違いありません。神様と一つになる縦の線と、人類愛の心の横の線が十字になった中心の磁場が、五井先生が提唱された「世界平和の祈り」なのです。


この祈りは肉体人間の願望ではなく、大神様の「世界人類よ平和であれ」「万物よ大調和であれ」との無限の大光明である大神力(だいしんりき)に、個人、人類の未来を任せていく全託への道であります。人間を含むあらゆる生物、水や空気や地球を含む一切の星々(生命体)は、大神様によって生みなされた存在なのです。


神は愛なのであって、必ず、子供である地球人類を救い取って下さいます。そのためには、神様のみ心が真っ直ぐに通る光の波動になっていくことが最も重要なのであります。光の波動とは、大調和の氣である神様の心の波ということです。それが、「世界人類が平和でありますように」という祈り言なのです。人類愛の最高の心と、神のみ心が一つに融合した「世界平和の祈り」こそが、魂の救われと真の平和世界の樹立を確実なものとする生き方であることを断言いたします。

 

                  風韻誌9号(2004年9月)収録


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